Chapter 9
どうか天国に花が流れて
シャイロック: ……私はあなたの部下ではありません。
シャイロック: あなたに、強き長であることなど求めません。
シャイロック: 自分たちの屍をしたたかに踏み越えて、かつてと同じように笑い、飲んで、今を謳歌していることなど。
ブラッドリー: …………。
シャイロック: 喪失の痛みは、克服することはあっても、消えたりはしないものです。
シャイロック: そこに、強さは関係ありません。どれほど時間が経ったかも。
シャイロック: ……それに、あなたの捕縛劇から、まだ百年ほどしか経っていないでしょう。
シャイロック: 私からしてみれば、まだまだ、つい最近ですよ。
ブラッドリー: うるせえな。年寄り扱いしたら臍曲げるくせによ……。……。
ブラッドリー: ……痛みが消えねえっつうなら、てめえこそ、本当に何も聞こえないのか。
ブラッドリー: 例えば、あの学者先生は、魂が砕けて別人になっちまった。ある意味では死者だ。
ブラッドリー: この異変に、本物の死者かどうかは関係ねえ。声を聞く側の気持ちひとつだ。
ブラッドリー: なら、てめえは……。
シャイロック: …………。
ブラッドリー: …………。
ブラッドリー: 喋りすぎた。
シャイロック: いえ。……いい夜ですね。
シャイロック: 今夜は、星が綺麗に見える。
オズ: アーサー。
アーサー: あ……オズ様。
アーサー: 大通りの方からいらっしゃいましたね。何かお買い物を?
オズ: アイスを買った。
オズ: おまえにやる。
アーサー: …………。
オズ: 一番大きいものだ。
アーサー: ……、あはは!美味しそうです!オズ様、ありがとうございます。
アーサー: せっかくなので、半分こしましょう。2人前くらいの量がありますし。
オズ: ああ。
アーサー: 実は、私もオズ様にお渡ししたいものがあるのです。
アーサー: こちらの花なのですが……。
オズ: ……先ほども……。
アーサー: いいえ。その話ではありません。
アーサー: 花の腕輪の珍しい編み方を、オズ様にお教えしようと思いまして。
オズ: …………。
アーサー: オズ様も北のお育ちですし、花の遊びにはあまり詳しくないでしょう?
アーサー: 私も中央に来て、初めて覚えたのです。手ほどきいたしますので、ぜひ、ご一緒に。
オズ: ……。ああ……。
アーサー: ……、と、ここで、今度はこの花を、下にぐいっと。
オズ: こうか?
アーサー: ええ! お上手です。
オズ: そうか。……。
オズ: 話したいことがあるなら話せ。
アーサー: え?
オズ: そのような顔をしている。先ほどから、何度も。
アーサー: ……やっぱり、オズ様には敵いませんね。……。
アーサー: 私の好きな花は、カインに教えておきました。
オズ: ……。
アーサー: カインは誠実で、何より、友人思いですから。
アーサー: きっと何があっても、忘れません。
オズ: …………。
アーサー: あっ!どうして、せっかくの腕輪から花を抜いて……。
オズ: 覚えておくがいい。
オズ: この中であれば、私はこの花が気に入った。
アーサー: ……。
オズ: 私は既に悠久を生きた。おまえはまだ百年も生きていない。
オズ: おまえは、私より先に石になどならない。
アーサー: ……オズ様……。
オズ: …………。
オズ: ……ならないでくれ……。
夜の紺色が、ほのかに淡くなっている。
夜明けの時間が近づいた頃、私とルチルは浜辺に並んで座っていた。
魔法で乾かしてもらった服から、まだ海のしょっぱい匂いがする。
晶: ルチルを助けに行ったはずなのに、私までだいぶ泣いちゃったな……。
ルチル: いいんですよ、そんなの。賢者様が来てくれて、嬉しかったです。
ルチル: ……フウィルリンさんへのお花、もう流しました?
晶: まだです。ここに持ってきてるので、今、流します。
ルチル: まあ、綺麗な白百合ですね。
晶: 百合は、賢者の魔法使いの……。
晶: 私の友達の紋章ですから。
晶: フウィルリンにみんなを紹介する代わりに。
ルチル: ……素敵ですね。
晶: ……。
ありがとう、と言うと、また泣いて動けなくなりそうで、私は微笑むだけにした。
そのまま立ち上がると、ルチルも、寄り添いながら付いて来てくれる。
サクちゃんもいつものようについて来たけれど、途中にいたヤドカリの匂いを嗅ごうとして、鼻を挟まれていた。
可愛さに、泣きたい気持ちが少し軽くなって、ルチルと一緒に苦笑しながら、真顔のサクちゃんをヤドカリから救う。
初代のあの子は、人形っぽい、無機質な仕草も多かったけど、二代目のこの子は、もっと猫っぽい。
私の好みに合わせて双子が調整したのか、同じように作られた使い魔でも、個性があるのかはわからない。
個性だったらいいなと思っている。
単なる調整だった方が、いつか、傷つかずに済むとしても。
波打ち際に立つと、優しい波が、何度も私たちの足を撫でた。
すうっと波が押し寄せた時に、そっと、白百合を海面に下ろして、離す。
次の瞬間には、花束を抱き寄せるみたいに、引き波が白百合を手繰り寄せた。
あっという間に波に攫われて、花はゆらゆら、遠い島へと流れていく。
晶: ……フウィルリンに届くでしょうか。
ルチル: 届きますよ、必ず。
ルチル: フウィルリンさんは浜辺のお散歩が好きみたいでしたから。
ルチル: きっと、あの島の浜辺を歩いている時に、流れ着いた賢者様の白百合を見つけるんです。
ルチル: フウィルリンさんは、ちょっとびっくりした後、ああ、晶からの贈り物だって、嬉しそうに笑って、拾い上げる……。
瞼を閉じて、私はその光景を想像した。
淡い色の花が咲き乱れる島。青い海が美しい、朝の浜辺。
長い髪を風に遊ばせて、あの時みたいに、フウィルリンが散歩している。
彼は砂浜にポツンと落ちた白百合に気づいて、少し首を傾げた。
それから、子供みたいに嬉しそうな表情に変わって、ふわりと空を飛ぶ。
ひと息に白百合を拾い上げると、明るい光に花びらを透かす。
人懐っこい、無邪気な笑顔で。
瞳を細めて。
晶: …………。
胸が刺されたように痛む。ちくちくと、瞼が熱くなる。
それは、とても、とても、幸せな想像だった。
声をあげて、泣きたいほどに。
晶: ……っ、すごく……。イメージが湧きました。さすが、絵本作家さんのルチルです。
ルチル: それならよかった。まだ絵本作家じゃないですけど。
ルチル: ……小さい時、ずっと空想していたんです。
晶: 空想?
ルチル: ええ。物語や詩で聞く、花ざかりの島で、父様と母様が今も生きてるんだって。
晶: ……。
ルチル: 私の想像の中では、二人は雲の街の家よりもちょっと小さいお家で暮らしてるんです。
ルチル: でも、母様の棺に入れたお気に入りのパッチワークがソファにかかっているのは、雲の街と同じで。
ルチル: 父様に最後にあげた早咲きのお花が、窓辺に飾ってあって……。
なんて、あどけない、あたたかな空想。
けれど、だからこそ、そのあまりの寂しさに、私は何も言えなかった。
まだ十歳の少年が心に描いた死者の家。
失われた、愛おしい日常の続き。
ルチル: 現世の私が良いことをするたびに、二人の家に花びらが降るんです。
ルチル: だから、ご近所さんのお手伝いをすごくたくさんやってました。
ルチル: いま思うと、聞き齧った童話や昔話や伝説が混ぜこぜで、子供っぽい話だなあって感じですけど……。
晶: ……昔のルチルを支えてくれた、大切な想像なんですね。
晶: ミチルにも、きっと励みになったでしょう。
ルチル: ……いえ。ミチルにも、フィガロ先生にも、レノさんにも、この話はしたことがありません。
晶: ……どうして……。
ルチル: うーん、どうしてでしょう。
ルチル: 多分……何も言わずに、ぎゅーって、抱きしめてくれるからかも。
ルチル: そうしたら、この……。冷たくて、痛くて、苦しいものが、どこかに行って……。
ルチル: ……っ、忘れて、なかったことになっちゃう気がしたからかも……。
声が掠れて、途切れた。
俯いて、震え始めたルチルの背に、私はそっと手を添えた。