Chapter 10

どうか天国に花が流れて


空の藍色が、少しずつ薄まっていく。夜が明けようとしている。

私は、フィガロとレノックスが来なかった理由を、ほんの少しだけ悟る。

: (もし今、故郷の家族が傍にいて。私を抱きしめてくれていたら――)

きっと私は癒されてしまう。

痛みも苦しみも過去にして、フウィルリンに出会えた喜びに感謝して、前だけを向いていたかもしれない。

: (でも……)

: (平気になんて、なりたくない)

: (サクちゃんのことも。フウィルリンのことも……)

: (……大丈夫になんて、なりたくないよ……)

今もまだ、ミスラとフウィルリンの話はできていない。

フウィルリンの笑顔も、涙も、水平線に降る石の雨も。

胸の、名前のない暗い場所に、そのままで投げ出されている。

まだしばらく、そうしておきたかった。

: (だから……)

愛おしい痛みを、そのまま、抱きしめられるように。

友達が必要だったのだ。

大切であたたかな、家族ではなく。

鼻を啜りながら、ルチルが顔を上げた。

瞳の端っこに涙が光って、でも、少し笑っている。

ルチル: この話、今まで誰にもしたことがなかったんです。

ルチル: ……話させてくれて、ありがとうございます。

それは、少し不思議な言い回しだった。

『聞いてくれて』、じゃなくて、『話させてくれて』。

でも、今はそれが一番しっくりくる気もした。

だから、私も笑って頷いた。

夜が少しずつ白んでいく。

フウィルリン: 晶――。

今も聞こえる大好きな声と、お別れする時が近づいている。

朝陽が顔を覗かせ、空が薔薇色に染まる頃、私たちはもう一度集まった。

絵から解放されたホワイトの姿はない。オズに送ってもらえるまで、宿で待っているそうだ。

アーサー: ルチル、賢者様。

カイン: いい時間は過ごせたか?

: はい、おかげさまで。

ルチル: 皆さん。朝まで待ってくださって、ありがとうございました。

ブラッドリー: 構わねえよ。どの道、今夜は飲み明かす予定だったしな。

オズ: では、浄化を行う。

いつの間にか、オズが杖を掲げていた。シャイロックも、魔道具のパイプを指先に挟んでいる。

二人の黒髪を、朝の潮風が静かに揺らした。

オズ: 《ヴォクスノク》

シャイロック: 《インヴィーベル》

光の波が海を駆ける。

過去から蘇った花々が、光に触れるたび、ふわりと、旅立つように夜明けの空に散った。

不思議で美しい、水平線の花びらのカーテン。

魔法使いたちが呪文を唱えるたびに、いくつもいくつも花が散る。

空に溶けて、どこかに消える。

その行き先が、天国であればいい。

そして、フウィルリンに、ルチルのご両親に、色んな人たちの大切な誰かに、花びらが降り注ぐのだ。

大好きだったよ。

今も、大好きだよ、と。

ルチル: 《オルトニク・セトマオージェ》

最後にルチルが呪文を唱えた。

ふわりと、光が弾けるように、海面が強く輝く。

眩しさに、一瞬だけ瞼を閉じた。

そのほんの束の間に、私は見た。

波間をゆらゆら遠ざかる、白い花に薄桃の一輪を飾った花輪。

それを見送りながら、ミチルとルチルに少し似た男性が、全ての力を失ったみたいにへたり込んだ。

顔を覆って、震えながら、子供のように泣き続けている。

その背に手を添えて、レノックスが、黙って寄り添っている。

いつまでも、いつまでも、友人に寄り添っている――。

はっと気がついた時には、すっかり太陽が昇っていた。

水面を埋め尽くしていた花は、元の通りに数を減らしている。

昨日までと変わらない、花ざかりの島を臨む不思議な浜辺。

私は耳を澄ませて、待った。

フウィルリンの声は、もう聞こえなかった。

遠くで鐘が鳴る。

きらきら光る朝の海面を、弔いの花が静かに流れていく。

ルチル: …………。

ルチルが何も言わずに、肩を寄せてきた。

私も彼の肩に、そっと体を預けた。

寄り添いあったまま、私たちは海の向こうの天国を見つめていた。

いつまでも、いつまでも、見つめていた。

ミチル: 皆さん!おかえりなさーい!

ルチル: ただいまー!

アーサー・カイン: ただいま。

オズの魔法で魔法舎に帰ると、すぐに南の3人が私たちを迎えてくれた。

腕を広げて、ルチルと順番におかえりのハグをする。

家族のような彼らにはお馴染みの、優しい光景だ。

ミチル: ぎゅーっ!兄様、潮の匂いがします!

フィガロ: 本当だ。あと、ちょっと日焼けしてるかな?遊ぶ時、ちゃんと帽子被った?

ルチル: ……。あっ!

レノックス: 忘れたんだな。首の後ろのこの辺り、服に沿って赤くなってるぞ。

ルチル: わー!触られるとヒリヒリする!

: (私もあとで鏡を見ておこう……)

アーサー: ミチル。皆で買ってきた、お土産のアイスだ。あと、果物とジュースも。

カイン: リケと半分ずつ分けてくれ。一気に食って、腹を壊さないようにな。

ミチル: わーい、いっぱいだ!ありがとうございます!

ルチル: クロエへのお土産も渡したいですよね。魔法舎にはいるみたいだけど……。

オズ: 今はラスティカの部屋にいる。ムルも。

ファウスト: そういえば、彼らのブラッドリーブーム……? は、もう去っているのか?

ブラッドリー: げっ、忘れてた。マジであれ、なんなんだよ。

シャイロック: さあ……。ですが、きっともう忘れていますよ。私たちの流行は気まぐれですから。

スノウ: 本当に大丈夫?どハマりした時は、100年くらいブーム引きずるよね?

バカンスから一瞬で魔法舎に戻ってきて、みんな、なんとなく、すぐ日常に戻る気分にならないのだろう。

ソファに寝転んだり、窓辺に座ったり、思い思いの楽な姿勢で、取り止めのないおしゃべりは楽しげに続く。

その輪をするりと抜け出して、フィガロとレノックスが私のもとへやってきた。

フィガロ: 賢者様。きみもおかえり。

レノックス: ルチルは大丈夫でしたか?

: はい。

私は微笑んで、それだけ答えた。

端的すぎる返事に、二人は少し顔を見合わせたけれど、やがて、柔らかく苦笑して、離れていった。

ルチルが泣いたことも。両親が住む、花の島の小さな家の話も。

いつか、ルチルから話せばいい。

大事な家族に。

ミチル: 兄様、兄様!天国の浜辺はどうでしたか?花を流すお弔い、兄様もやりました?

ルチル: やったよ! すっごく綺麗なビーチだった。でも、詳しいことは、今は秘密。

ミチル: えー。まあ、二十歳になったらボクも行くし、いいですけど!

ルチル: ふふふ、そうだね。ミチルも二十歳になったら行っておいで。

ルチル: 大事で、信頼できる、お友達と一緒に。

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