Chapter 7
どうか天国に花が流れて
日が沈んだ瞬間、水面に急に増えた花。
天国から聞こえ始めた声。
長寿の魔法使いたちは、夜になったら厄災の力が増すだろうと言っていた。
そして、花も声も、おそらくは<大いなる厄災>の奇妙な異変だ。
だから……。
晶: (もしかして、本当に)
晶: (フウィルリンの魂が、厄災の影響で……)
スノウ: ……やはりのう。
いつの間にか、砂浜に立てかけられていた額縁から、するりとスノウが抜け出した。
絵の中に残ったホワイトが、黙ったまま、波に揺られる弔いの花を見つめている。
スノウ: この異変の原因は、生者の祈り。
スノウ: 死者は関係ない。
晶: ……。え……。
スノウ: 今、水面の花が増えたのは、過去に流された弔いの花が蘇ったからじゃ。
スノウ: この花々に乗せて、海に流された、人々の嘆きや、愛情、追憶。それらが厄災の影響で力を持ったのじゃろう。
スノウ: その想いに共鳴する者の耳に、死者の懐かしい声が聞こえておるのじゃ。
オズ: ゆえに、声が聞こえた者と、聞こえなかった者がいるのだろう。
オズ: 人間であれば、不思議の気配に聡いか否かも関係するだろうが……。
オズ: 愛しいものを失って間もない者。心に哀悼の痛みが残る者。
オズ: その時期が近いほど、痛みが強いほど、想いに共鳴し、より声を聞きやすくなる。
ブラッドリー: …………。
晶: で……でも、それなら、ルチルのご両親の声はどうなりますか?
晶: ルチルはご両親の声を聞くだけじゃなくて、話すことができたんです。だから、それはつまり……。
ルチル: ……賢者様。私は、多分、両親と話せていたわけじゃないんです。
ルチル: 両親の言葉を想像して、『会話してる』って思い込んだだけじゃないかな。
晶: え……。
シャイロック: ……厄災の影響から逃れるのは、誰にとっても至難の業です。
シャイロック: ルチルは特に、今回の厄災の影響を強く受けたようでした。
シャイロック: 『死者の声を聞く』という異変が、一際強く、作用したのかもしれませんね。
シャイロック: 心の中に眠る両親の面影と、会話が成立してしまうほど……。
晶: …………。
波のさざめきの合間に、私を呼ぶ声が確かに聞こえる。
フウィルリンの、風のように軽やかな声。
あの、明るく晴れた朝のボルダ島で、泣き叫びたいほど、聞きたいと願った声。
晶: (時間は戻らない。死者は蘇らない)
晶: (何度も、魔法使いのみんなから聞いた話だ)
晶: (都合のいい奇跡は、起きたりしない……)
それでも、あまりにも鮮やかに、胸に蘇る。
夕空を駆けながら見た、フウィルリンの無邪気な笑顔。
優しくて、寂しい、お別れの気配を感じながら、三人で歩いた石階段。
抱きしめられた時、こめかみに感じた、彼の頬の熱さ。
朝焼けの海にきらきらと降る、虹色の宝石の雨。
晶: ……。
肩に乗っていたサクちゃんを手繰り寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
柔らかくて、ほのかに温かい。二代目のこの子も。
私を守って消えてしまった、初代のあの子も。
天国へ、花がいくつも流れていく。
いつだって一方通行なのだ。
失ったものは戻ってこない。
ルチル: ……母様?
突然、呆然としたような声が聞こえて、はっとした。
ルチルが、何かに目を凝らすみたいに、海の一点を見つめている。
大きな緑の瞳に、海面の星明かりが反射して、怖いほどに光って見えた。
ルチル: 母様……?父様……。
アーサー: ルチル?ルチル、だいじょ……。
ルチル: っ、待って! 待って!行かないで!
晶: ルチル!?
止める間もなく、ルチルが海に向かって駆け出した。
何かを求めるように、あるいは何も見えていないように、一直線にざぶざぶと海に入っていく。
その先、水平線の彼方に浮かぶのは、美しくて寂しい天国。
晶: ……あ……。
フィガロ: ……賢者様。あの子は強い子だから、大丈夫だと思うけど……。
フィガロ: どうか、ルチルをよろしくね。
晶: ま……待って!
晶: ルチル、止まって!戻ってきて!
カイン: 晶!?
アーサー: 賢者様まで海に……!っ、《パルノクタン……》
カイン: 《グラディアス……》
シャイロック: お待ちください。今は見守りましょう。
カイン: だが……。
シャイロック: いざという時は、私が必ず、二人を魔法で救い出します。
シャイロック: ……両親を失ったルチルにも。ついこの間、友を失った賢者様にも。
シャイロック: 嘆きや、愛惜や、痛みを、抱きしめる時間が必要だと思うのです。
シャイロック: だからどうか、今はこのまま。
魔法使いたち: …………。
後ろで魔法使いたちが何かを話しているようだったけれど、気にする余裕はなかった。
太ももくらいまでしかない浅い海なのに、波に揉まれて、思うように前に進めない。
晶: わっぷ……ルチル!ルチル!
晶: お願い、待って!
波に翻弄されながら叫んでも、ルチルは振り返らなかった。
彼は既に、腰まで暗い水に浸かっている。深いところに入り始めているのだ。
晶: (学校でも、テレビでも、夜の海は危ないって何度も聞いた)
晶: (暗いから、足元も周りもよく見えなくて、気づいたら帰れないところにいるって……)
白、紫、ピンク、薄藍、色とりどりの弔いの花が、ルチルの背にぶつかりながら、いくつも、いくつも、あの島へ流れていく。
まるで彼を押し流すように見えて、私は必死に水を掻き分けて歩いた。
晶: ルチル……!
ルチル: ……っ。
叫んだ時、不意にルチルが止まった。
私の声を聞いたのかもしれないと思ったけれど、違った。
彼は自分のお腹の辺りを見ていた。
何かが、流れに逆らうように揺れながら、彼のお腹の辺りにぶつかっている。
たくさんの白い花の中に、一輪だけ薄桃の花を飾った花輪。
晶: (……ルチルのお父さんが作ったものだ)
晶: (お父さんが作って、お母さんが受け取った、二人の花輪)
晶: (二人がルチルを守ろうとしてるんだ……)
もしかしたら、昼間のルチルや、他の人が作った花輪かもしれない。
けれど、私はそう信じた。
死者は蘇らない。
でも、弔いの花は蘇った。
蘇った両親の花輪が、息子を助けるために、必死に、波に逆らっているのだ。
そのくらいの奇跡は、起こったって、いいじゃないか。
ルチル: …………。
晶: ……、ルチル……。
立ち止まるルチルの肩に、ようやく触れた。彼がぼんやり、こちらを振り向く。
晶: あまり深いところに行くと危ないですよ。浜辺に戻りましょう。
ルチル: ……、あ……。……。
ルチル: ……あれっ、海!?いつの間に!?
晶: ルチルが自分で歩いてきたんです。ご両親を呼んで……。
ルチル: え?……あっ、そうか、そうでしたね。すみません、なんだかぼーっとしていて。
ルチル: 海の向こうに、父様と母様がいた気がしたんです。
ルチル: 名前を呼ばれて、二人の姿が見えて。でもどこかに行っちゃう気がして、追いかけなきゃって、私……。
晶: ……ルチル……。
ルチル: 変ですよね。追いかけてる間も、頭のどこかで、ちゃんと、両親がいるはずないってわかってたのに。
ルチル: この異変は、生きてる人の弔いの気持ちが原因。
ルチル: 二人の……魂が、蘇ったわけじゃない。
ルチル: ちゃんとわかってました。
ルチル: ……わかってたのに……。
声が震えて、掠れる。
彼の瞳から、ぽろっと、涙が溢れた。
いつだって明るく笑う、春と夏と太陽に祝福されたような彼から。
半身をもがれるような悲しみを、二度も、運命に押しつけられた彼から。
ルチル: っ、すみま……。
涙を拭こうとした彼の手を、衝動的に取った。